大分県豊後玖珠牛の始まり
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豊後玖珠牛の始まり
私たちの住んでいるこの地が玖珠になる前の話ですが、四国の来島水軍の末裔である来島さん(後で久留島に名前を変えた。)が、関が原の戦いで負けちゃって、知り合いの”つて”でどうにか家名の存続は許されて、豊後森に住む場所を移したことから森藩としてゆるされました。これが1600年ごろのこと。
その森藩の頃の話です。
『森藩(1680年代当時)は、小藩で畜牛奨励は充分には行われていなかったものの、藩には古くから「野矢牛」として、天下に名声を博していた牛種があったといわれ今の野上(玖珠郡)付近が産牛地として発達していた。』
とあります。
この「野矢牛」が豊後玖珠牛に深く係わっているようです。
300年以上前から豊後玖珠牛の祖先達は有名だったみたいですね。
「牛は豊後が日本一」といわれている。その豊後牛の中心地は、玖珠である。玖珠の牛を有名にしたのは大正10年全国畜産博覧会で一等一席を取った千代山号。この千代山号もこの「野矢牛」の産地で生まれています。
千代山号は、豊後玖珠家畜市場内に千代山の碑まで持っててすごいですね。
~ 動鳴堂(牛馬魂碑)~ ~千代山之碑~
続く。
最終更新 ( 2012年 2月 08日(水曜日) 14:07 )





